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親日家が多いフィリピンの教育都市バギオ


スペインの植民地を経て、1898年から1946年まではアメリカの植民地であったフィリピンですが、当時、暑さに耐えかねたアメリカ人よって高山都市で避暑地として知られるバギオの開発がはじまりました。

バギオ開発に際して、まず道路建設を進めたアメリカ人でしたが、簡単に工事が進まなかったことから、勤勉な日本人に目をつけ、開発自体を移民としてきた日本人に託したそうです。

今でこそバギオは整備され、観光地としても広く知られるようになりましたが、当時の開発の際は、手つかずの自然が多く残され、簡単に開発が進められる環境ではなかったことから、多くの日本人作業員が犠牲となりました。

道路完成後は日本人が造った道路として広く認識されています。

移民以外でも、フィリピン人と結婚してバギオに住むようになった日本人は多く、「北ルソン比日友交協会」の設立をはじめ、貧困からフィリピン人を救うために「農業協同組合」を新設するなど、現地に住まいする日本人がフィリピン人の生活向上に大きく貢献してきた背景があります。

上記のようなことがあり、バギオと日本人の関わりは深く、フィリピンの中でも親日家が多いエリアとして知られるようになりました。

バギオはフィリピンを代表する教育都市で、犯罪発生率もマニラなどに比べると約1/20と低く、フィリピン人が安心して生活して生活できる環境というだけでなく、海外からの留学生や旅行者も安心して現地生活を送っていただける環境が整っています。

バギオについて、ご不明点等がございましたら、お気軽にお問い合わせください。

バギオの詳細ページは こちら